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「だすよ」というというメッセージと一緒に送られてきた画像。
というメッセージと一緒に送られてきた画像。
これって、DR.野口 (Dr. Hideyo Noguchi)のお母さんの手紙??
[野口シカ(母)より野口英世(子)宛の手紙、1912年1月23日付]
EMS追跡でしらべたところ
発送地「野口英世の里郵便局」でした。
その書類が届きました。
封筒の上部にずらっと貼ってあるのは野口英世記念切手。
そして中には、記念館のパンフと旧居の写真が入っていました。
PS弟へ: 手数かけましたm(__)m 感謝!!
~>゜)~<蛇足>~~
同じものが娘のところにも届いているはず。
海外在住の私たちにに送るから、
弟わざわざ出かけたそうです。
ちなみに、実家から「野口英世の里郵便局」
近くないです!!
~>゜)~<蛇足2>~~
切手の部分拡大しました。消印にも注目です。
そして北海道の地震の時には
「キケン! 飲むな!」との張り紙が救援物資にはられていたとのこと。
これはデマだったようですがそんな報道をみてびっくりしました。
使い方に戸惑いを感じている方が多いのだろうなとおもいます。
なので、経験談を書くことにしました。
かつて私も便利に使いました。
とはいっても四半世紀も前のことです。
息子をアメリカで出産、
出産直後からお世話になった小児科の先生からの試供品で液体ミルクを知りました。
その時の液体ミルクは小さなボトルタイプで、手持ちの哺乳瓶用の乳首をつければ使えました。
便利な分、値段は高かったので、めったには使いませんでした。
なぜめったに使わなかったか。
コストが高い!
それが一番の理由です。
販売価格が高いのに加え、飲み残しは廃棄。
そうなんです。
一人の乳幼児が一度に飲む量ってそんなに多くないですよね。
ですが、一度開けてしまった液体ミルクは、その時飲まなかったら捨てます。
それをもったいないっておもったら、液体ミルクは使えません。
でも緊急時用に、常備していました。
体調不良で母乳は無理、お湯を沸かしてミルク作るのもしんどい...
そんな時には使いました。
最初の娘の時、体調不良で寝込んでいた時に
母乳(エネルギー吸われる...)が楽か、
粉ミルク(お湯を沸かして...)を作るのが楽か、
泣いている娘の顔を見ながら悩んだことがありました。
ほんとうにつらかったです。
そんなときに、哺乳瓶に入れるだけでOKの液体ミルク、便利です。
だから普及してほしいと思います。
そしてこれだけは絶対注意してほしいのが
「飲み残しはすてること」
飲み残しが問題になって普及の妨げになってほしくないと思います。
~>゜)~<蛇足>~~
北海道の震災時の情報について
被災地支援の「『液体ミルク』使われず」報道は誤解か
北海道庁「(利用を控えるよう)連絡をしたつもりない」
ご参照ください。
~>゜)~<蛇足2>~~
飲み残しを与えたら??とそういう部分まで考えていたら普及できません。
でも普及してほしいと思います。
~>゜)~<蛇足3>~~
現在娘が、あの当時の私の年代。
なのでこういったこと、気になります。
「蒙恬」の名前が出てきました。
藤田元春著『西湖より包頭まで』 第6章 包頭行 万里長城 から
それは西紀八一年に羅馬帝ドミチヤヌスが、ライン、ダニユーブ兩河の間に長城<リメス>を築いて、北狄を限つたよりも、凡五百年も前の事で最初に、魏惠の惠王長城を固陽に築き、ついで西暦前三一四年秦は義渠之戎を破って北地長城をつくり、趙の武靈王は前三〇七年林胡樓煩を破つて代より陰山にかけて長城をつくり、燕も亦東胡を破って造陽より襄平に至る長城を築いた。何れも夷狄を退けて漢民族の植民地を作くり、其當然の結果としての境界を守る爲めのものであるから、長城は前進的であり移動的であつた、故に秦が天下を一統するや、これ等四國の跡をうけつぎ紀元前二一五年蒙恬をして北の方胡を討ち悉く河南の地をとって直道を通じ、九原より雲陽に至る間、所謂東洋のローマンロードをつけ、長城は西臨洮より。東遼東まで萬餘里に達せしめた。
大正十五年出版の書籍なので、漢字、仮名遣いが旧式です。
ちなみに蒙恬とは...
長城修築、匈奴討伐で功績をあげた秦の将軍です。
祖父・蒙驁、父・蒙武、弟・蒙毅と一族の名前が歴史に残っている、名門の出身。
でも「蒙恬」といったら、オタクな私の中では、原泰久さんの漫画『キングダム』の中の蒙恬。
思わず、アニメ『キングダム』の「キャラクターソングミニアルバム -闘-」 引っ張り出して聞きました(^^ゞ
(蒙恬は、アニメ『キングダム』主人公信のライバルの一人です。)
そしてで思い浮かぶのは.... このシーン
アニメ2期23話から... (^▽^)
「じいちゃん見て!ほらカニ!えへへへ!!」
魏秦の山陽の戦の真っただ中、
蒙恬の祖父・蒙驁と父・蒙武との会話の後
蒙驁の回想、蒙恬の子供時代
ちなみに弟・蒙毅も作中に登場しています。
~>゜)~<蛇足>~~
歴史なんて、のちの人が書いているんですから、
なんでもありだと思います。
こんな話だってありだよね... と思いますが、
時々漫画やゲームにあるキャラクターの女性化だけはちょっと苦手... です( -_-)
~>゜)~<蛇足2>~~
~>゜)~<蛇足3>~~
上記の「藤田元春著『西湖より包頭まで』 第6章 包頭行 万里長城 から」は
こちらで読みやすい文章で紹介しています。
→ 『西湖-包頭』北京編 -08 万里の長城 の歴史
~>゜)~<蛇足4>~~
「蒙恬が万里の長城を作った」
とも言われていますが、基本的に蒙恬でよいと思うのですが...
それまで各国がそれぞれ作っていた北方の守りの防御壁である長城を修築しただけとえばそうなのです。
でも現在に残る万里の長城の基礎になるものを作ったのは(始皇帝の命にを受けた)蒙恬だと思います。
なので上記では「長城修築」としました。あえて「万里」を入れていません。